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| 季節外れの、雨季がお盆にずれこんで来たかのような冷夏になっていますが、北京オリンピックでは数々の感動の場面にテレビの前で熱くさせられましたね。さて、いつもお盆と同時にやってくるのは終戦記念日。世界で唯一の被爆国でもある日本。平和への祈りを絶やすわけにはいきません。 戦後、日本の復興は驚異的でしたが、その復興の立役者として重責を担った白州次郎のことが近年何かと話題にのぼります。白州次郎は、吉田茂首相がGHQとの交渉役を依頼し戦後日本の運命を託した人です。財界の御曹司として生まれ、英国留学で身につけた語学力などインテリジェンスに加え、スポーツカーをぶっ飛ばす暴れん坊と呼ばれました。口癖だったプリンシパル(筋の通ったこと)に合わないことには、たとえ占領軍の司令官といえども断固として対峙するという気骨あふれる人でした。期待どおり、彼はGHQ相手に一歩も引かず交渉にあたります。マッカーサー司令官は「すべての日本人を屈服させたと思ったが、一人だけ従わない男がいる」と、ワシントンに打電させています。白州次郎は日本の独立自治を早期に実現させるため、日本国憲法のGHQ大綱に反発、日本独自の憲法の起草にも尽力しました。自立復興には経済が基盤となることが必要と考え、それを行政支援することが肝要として貿易庁(後の通産省)を設立。しかし、そのレールが引けると、さっと官界を去ります。「風の男」とも呼ばれました。 そして、戦争で疲弊してしまった日本企業をいくつも立て直します。東北電力の会長を務めていたこともあります。会長室にはほとんど居らず、長靴をはき自らジープを運転して水力発電の現場である多くのダムを飛び回っていました。貿易庁長官時代に、後に山形県知事となる安孫子藤吉氏が部下だったということもあり、山形との接点は意外に多いのです。身の回りの物を買いに、あちこちの商店にも立ち寄りましたが、商店の人達は白州次郎という人物を知りませんでした。しかし、初めてTシャツとジーンズを着用した日本人と言われる、その風貌と雰囲気を忘れてはいませんでした。長身で映画俳優のような端正な顔立ち、最近になってマスコミで紹介されている画像や本の表紙の写真を見て、ああ、あれが白州次郎だったのかと初めて知ったようです。 |
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山形市郊外の、冬はスキー場となる蔵王に白州次郎の別荘が現存しています。上ノ台ゲレンデのそばに建設されたのは、昭和28年頃のようです。外見は質素な感じですが、さすがに白州次郎の別荘らしく、暖炉などを別にしてオール電化の設備だったとは驚きです。ほぼ建設当時のままなので痛みが激しいのですが、雪深い場所で半世紀を経てもそのままの姿で現存しているのは、これも驚異的です。シンプルですが誠実な工法でしっかりと造られているのでしょう。 |
| 県内の関係諸氏により「白州次郎を語る会」が発足し、今後はメモリアルとして整備が検討されています。県内における足跡が蘇るのは文化的にも素晴らしいことで、ゆかりの品々や資料が展示されるのは楽しみなことです。 (R.M.記) |
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