HOME
山形アラカルト
会社概要 地域熱供給 山形駅西口再開発 事業の特長 エネルギーミュージアム 山形アラカルト
山形アラカルト
山形アラカルト
今年も暑い夏になりそうです。08.7.20山寺の話
 地球規模での温暖化対策が叫ばれていますが、にわかに温室効果ガスを激減させることも出来ず、すでに各地で暑い暑いと様々なニュースが聞かれます。
 さて、山形市近郊の観光の目玉は何といっても北東に位置する山寺です。観光の季節として、新緑の美しい春や見事な紅葉の秋、雪景色も乙な冬と、それぞれに趣があります。その名のとおりに険しい岩山の上に点在する遺跡や施設を巡る石段登りを伴う観光を、なにも汗だくになる夏にしなくても…と思ったりもするのですが、夏に山寺を訪れる人が多いのも事実。それは、松尾芭蕉の有名な句「閑(しず)けさや 岩に染み入る 蝉の声」が影響しているのかもしれませんね。つまり、芭蕉が訪ねた時と同じ季節に芭蕉になったつもりで風情を楽しみたいという潜在的な期待もあるかと。
山寺  その山寺ですが、NHKテレビで大晦日の紅白歌合戦が終わった後に「ゆく年くる年」という番組で除夜の鐘の音と共に、ひと頃必ずトップに登場していたことをご記憶の方も多いかと思います。奇岩の狭間に開かれた絶景の場所にある山寺ですが、その由緒や格式は何処から来ているのでしょうか。
 昔、東北では人々が干ばつによる大飢饉に苦しんだことがあります。時の帝、清和天皇は心を痛め、叡山の座主(ざす)である慈覚大師に東北救済を希望されます。慈覚大師は我が国で初めて大師号をいただき叡山の頂点にいた人ですが、高僧を派遣するかと思いきや、なんと自ら東北を巡るのです。東北には、看板の説明文に慈覚大師が開山したという寺のなんと多いことでしょう。松島の瑞巌寺も平泉の中尊寺もそうです。苦しんでいた人々と同じ目線で接し自ら汗を流して救済活動を行った慈覚大師は「円仁さん」の愛称で親しまれています。慈覚大師の偉大さは、その高位よりも尊い、このような行徳にあるのです。
 その慈覚大師が東北救済の拠点と定めた場所が山寺でした。正しくは「宝珠山立石寺(ほうじゅさんりっしゃくじ)」といいます。往時は1500人もの僧侶がいて様々な仏法の建造物がありました。参道の最初にある根本中堂(こんぽんちゅうどう)には、叡山から分けた法灯が安置されています。叡山が織田信長によって焼き討ちされたときには、ここから逆に灯を分けたということで、消えたことのない「不滅の法灯」と呼ばれています。山寺は清和天皇の勅願寺(ちょくがんじ)となりましたので、清和天皇の御血筋である源氏の棟梁(とうりょう)たちから代々莫大な寄進があったようです。

 暑い夏に山寺の石段を登るのは楽でありませんが、岩の上に建つ五大堂からの眺めは素晴らしいです。石段登りは、緩やかな場所、急勾配、極端に幅の狭くなった場所ありと、あたかも人生の紆余曲折(うよきょくせつ)に似ています。ゆっくりと歩を進めれば芭蕉の気分に。俳聖といわれた芭蕉ほどになると、句の中に出てくる蝉の種類が何かということで文化人たちが激論を戦わせ調査会まで開かれました。芭蕉が来た時期はジージーと鳴くアブラ蝉などが出てくるには少し早く、それはニイニイ蝉だという結論でした。石段登りは急がずに、芭蕉が句の短冊を埋めたという「せみ塚」あたりで名物の玉こんにゃくでも頬ばり一服しながら。また、凝灰岩の岩山に築かれた信仰地の全容、その一大パノラマは、川をはさんだ対岸にあるテーマパーク「風雅の里」から観ることができます。

山寺2
(R.M.記)