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| <その2> 山刀伐峠(なたぎりとうげ) いよいよ冬の初めの季節となりました。北国の冬は雪との戦いです。温暖化で全般的に雪は少なくなりましたが、油断しているとドカ雪ということもあります。俗説として、カメ虫の多い年は大雪、虫達が雑木に産み付けた卵の位置、その高さの下までが積雪深だと言われたりします。昔から語り継がれてきたことだけに冬が終わると、ああやっぱりそうだったね、ということが結構あるんです。北国の冬の備えは色々あります。樹木の雪がこい、車のタイヤを冬用に交換、ストーブ用の灯油タンクを満タンにする。水道の凍結防止栓の使用等々。薪ストーブや暖炉のある家では薪にする乾燥木の確保も。 さて、前回は元禄の大事件、赤穂浪士の討ち入りと関る話でしたが、同じ元禄時代に文化の歴史に残る大快挙もありました。松尾芭蕉が門人の河合曾良と東北を巡る大旅行をするのです。その旅行記は世界的にも知られる「奥の細道」ですね。その時代、都の人々からみれば東北はまだ僻遠の地、道が途切れたそのさらに奥という意味での「みちのく」と言われましたが、それはそのまま見知らぬ地への好奇心、冒険心をくすぐる憧れでもありました。今でも東北の代名詞ですね。歌の題名にも推理小説にもテレビの娯楽番組にも出てきます。 平泉から西へと移動する芭蕉達が、その道程で最上川の乗船場にたどりつくまでにどうしても通らなければならなかったのが、最上町から尾花沢市に抜ける「山刀伐峠」でした。芭蕉達がここを通ったのは夏でしたが、彼らにとってこの峠を越えることは厳寒の冬山を行くことより決死の覚悟が必要でした。名前のとおり、山刀で樹木を払いながら進むほどの道無き道。鬱蒼として昼でも夜のように暗く、金品を狙う山賊や熊などの猛獣もいます。しかし、当時は他に道が無く、この大旅行の最大の難所となりました。このため、帯刀した屈強な地元の案内人に頼ったのです。峠を越えるまで怖くて胸の鼓動が止まらなかったと書いています。 尾花沢に抜けると、そこはパラダイスでした。砂金と同じ価値と言われた貴重な紅花などを扱い大富豪となった鈴木清風らに迎えられます。清風はセレブでしたが文化に造詣の深い立派な人で、都での句会にて芭蕉とはすでに顔見知りだったこともあり大歓迎を受けました。命からがらの山刀伐峠越えから一転、よほど居心地が良かったのでしょう。急ぎの旅なのに尾花沢には十泊もしています。 そんな山刀伐峠も、今は立派な舗装路が出来てトンネルを車で一直線に飛ばせるようになりました。そして芭蕉達が越えた旧道は、太平洋戦争のときに資材不足に悩む軍によって伐採されたこともあり、今ではハイキングコースとして整備されています。明るく爽やかな風に吹かれ、春は新緑、秋は紅葉を楽しみながら。途中、頂上の展望台には、あずま屋も設けられています。芭蕉のファンなら一度は越えてみたい峠ですね。両市町側の登山口には駐車場とトイレが完備されていますので、遠くから来られた方でも不自由ありませんし、頂上の近くにも駐車場がありますから、徒歩では時間がないという方は車道からアクセスもできます。頂上からの景色を眺めれば、いつしか芭蕉の気分に。 |
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落ち葉ですべる急な坂道も石段施工で登り易いです。 最後に。芭蕉の名句とされる七句のうち、三句(山寺、最上川、月山)までも当県の地で詠まれているのは嬉しいことです。山刀伐峠を命がけで越えて来た甲斐がありましたよね。 (R.M 記) |